2015年10月16日 (金)

〔所感〕南京問題と売春婦について

〔所感〕 平成27年10月16日

◎南京問題について

支那の運動によって、今回
世界記憶遺産に「南京虐殺」が登録されたという事で驚いた。
確たる理論・証拠も無いのに、一方的でありすぎる。
それも30万人等は有り得ない数字だ。

日本はユネスコへの拠出金を凍結せよ!

これは実質世界一位の負担高で、その額54億円である。
この事は事実と認められ教科書に悪影響の可能性もあり。
政府、特に外務省は何をしていたのだろうと情無い。

◎売春婦について

日本では昭和32年迄、売春制度としての遊郭の存在は合法だったのだよ。
然し遊郭で遊ぶという事は相当高額だったので、簡単には利用はされなかった。
料理屋・カフェとは別のものである。
世界中に売春婦は居り、施設としても有った。現在でも存在している国は有る。
その利用は時間制度や泊まりもあったし、ピンからキリまであった様だ。

【 格言 SはPならず PはSならず 】(Sは芸者、Pは娼婦のこと)


更に南京問題・慰安婦について論じたい方はどうぞ。


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2014年6月26日 (木)

「慰安婦」とは?

多忙でブログを書き損なって居りすみません。 なるべく多く書く様にしたいと思っています。

手始めに 「慰安婦」の事について、帝国陸軍中尉として書きましょう

「慰安婦」とは何ぞや?

当時「SはPならず」という言葉をよく耳にした。Sとは「芸者」でありPとは「娼婦」の事である。

陸軍少尉に任官したのは、陸軍士官学校を19年4月に卒業した年の7月1日で満19歳であった。誕生日の7月19日までは19歳の若僧が聯隊旗手としてバリバリで通ったのでした。見た目には27~8歳に見えたと言われて居ました。

歩兵の聯隊旗手は神聖な軍旗を捧持する身ですから、宴席には出ても女性とは話も殆どする事は無く、触れる事など有りません。専ら武術に打ち込み、戦術や戦例を勉強し、新兵さんを教育するという毎日でした。

その内、志願して航空兵に転じたのですが、再教育を受けての新任地は支那派遣軍の航空軍で、主として満洲に駐留しました。偵察が主任務で、解放された気分で良く飲みました。

内地ではその頃は合法的に遊廓というのが有り、満洲(奉天に居た)にも同じ様な遊廓の様な所があった。我々若い同期生は結構高級な料亭で若い芸妓さんと他愛なく遊んだものでした。(SはPならず) 我々航空部隊は割と大きな街に居たので、所謂戦地(出撃すれば戦死もするのだが)の慰安所を見た事が無いのです。

慰安婦というから慰安所があったのかと思うが、他の兵種の者に聞いてもよく判らないのが実情です。

慰霊の為ニューギニアから南方諸島・フィリピン・ビルマ・タイ・インパール・ノモンハン・バイカル湖・チタ・ハバロスク・ウラジオストック・満洲・支那(南方地方も)等々を廻りましたが、慰安所の話は聞く事は殆ど有りませんでした。

只、雲南の拉孟・騰越・龍陵等の第56師団が雲南遠征軍の大軍の攻撃を受け激闘の末、 玉砕が相次いだが、現地には支那軍の戦勝記念館が有り、そこには捕まった朝鮮人慰安婦として数名の写真があった。話では日本人女性は銃をとり皆戦死されたとの事である。この件は記憶に残っているが、この他には無い。日本陸軍は衛生上の心配から軍医さん達が予防検査はしていたらしい。

陸軍将校であった私さえ、その実態を殆ど知らないので教えて欲しいと思う。 「従軍」とゆう変な名前は誰が付けたのだろうか? 全くけしからん話です。

任務を持っている帝国軍隊が女を強制連行する等する筈がないではないか?

娼婦はその家族によって仲介人に売られたのであり、その女性本人は知らないから強制されたと思っているのでは無いのか?

私は朝鮮で生まれ16歳まで育ったのだか、勿論そんな話は知らないし、残っていた家族や知人達もそんな事は聞いた事も見た事も無いと言っている。

70年以上の年を経て当時の事情を知る年代がもう少なくなり、その内絶えてしまうから、早く実情を調べて欲しいと思って居ります。以上

            26日 本日はここまで。

2013年5月16日 (木)

橋下徹氏の「慰安婦」発言について

橋下徹大阪市長(日本維新の会共同代表、大阪維新の会代表)の「慰安婦」

発言について、下記の内容で維新の会宛てと後援会事務局宛に応援の

メール・FAXを発信しました。

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「慰安婦」問題の発言内容について同感です。

当時と現代とを勘違いしてのマスコミ・政治屋さん等の批判は全く論外です。

この人達はベトナムでの韓国軍の非道ぶりや、支那での日本人虐殺等を

知っているのかと疑います。

正当な論は米・中・韓国等に気兼ね無く述べたほうが良いです。

2010年11月 2日 (火)

ロシア大統領の我が北方領土訪問に断固抗議をする

去る昭和20年8月15日に、我が国は大東亜戦争の終結を世界に表明し、我が全軍に対しても軍事行動の停止を命令した。
然し乍ら、ソ連はこの事を無視して満洲・樺太・千島列島等において一方的に攻撃を加え、火事場泥棒的に侵略を続けた。
南樺太や占守島においては、現地軍はその無謀さに憤慨して、一時ソ連軍に多大の損害を与え勝利をしたのだが、本国からの再指示に従って軍事戦闘を停止した事実があった。それによりソ連軍は南樺太・千島列島と北方四島をも占領した。 

昭和26年のサンフランシスコ平和条約で、日本は千島列島は放棄しているが、北方四島はそれには含まれない固有の日本領土である。

ソ連は悪どく四島の占領を続けていたが、弱体化したソ連が突如崩壊して解体した。その主力を引き継いだロシアは、本質的にはソ連の体質と全く変わらない様だ。
日ソ共同宣言で歯舞群島・色丹島の2島は日本への引き渡しを明記して国交回復したのであるが、残る2島の返還を求める日本に対して、現在に至るもロシアとの対立が続いて居る。

ロシアのメドページェフ大統領は、麻生元首相との会談で平成21年2月に領土交渉の加速化を約束したが、ロシアとの平和条約自体が未だ締結されないままであり、民主党政府になってからは更に方針が明確では無く、交渉は止まったままである。

ここにきて最近ロシアは、上記の昭和20年の8月15日ではなく、日本が降伏文書に調印した同年9月2日を事実上の対日戦勝記念日と制定して、一方的に日本側を牽制し始めた。それをPRすべく本年7月には4島の内の択捉島で大規模軍事演習を実施したり、今回は日本の反対表明を押し切って本11月1日、大統領は4島の内の1つの国後島にベトナムの会談地より空路樺太経由で乗り込んだのである。

これによってロシアとの平和条約締結を含む領土交渉は、一段と困難さを増すであろう。
中国の尖閣諸島や油田開発に伴う挑発的行為による紛争に続き、今回更に北からのロシアにより最大の圧力を受けた日本は、断固とした態度と行動を示さねばならぬ。

基本的には米国押し付け憲法の改正が必要であるが、直接的には軍事力の増強配備が無い限り、交渉好転は期待出来ないであろう。日本人であるならば、今や目を覚まし決起が望まれる次第である。

2010年9月28日 (火)

「尖閣諸島問題」中国船船長の処置について

今回の尖閣事件で、船長を検察が処分保留のまま釈放した事は、全く遺憾で腹の虫は納まらない。
閣党や主な国会議員あてにメールやFAXで抗議を入れました。

詳細についてはこちら http://www3.coara.or.jp/~nippon_f/kawaraban220928.htm

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正しい歴史を考える会

誤った歴史認識や教育が多い今こそ、私共の経験と知識とを基に、正しく歴史を考え主張し、若い世代を主対象に判りやすく語りかけて、後世に伝えたいと思って居ります。