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2013年7月 8日 (月)

7月7日は支那事変勃発の日です

昭和12年の7月7日は、支那との「日支事変」が始まった日(盧溝橋事件が起こった重要な日)にも拘わらずどのマスコミ・新聞もこの史実を解説したところはなかった。
哀れな日本になったものである。

支那事変から大東亜戦争へと拡大して行ったあの戦争の発端はスターリン(ソ連)と毛沢東との秘密合意により行われた中共(現在中国と称す)側工作 による日中両軍に向けての作意的発砲であった。
    
この事件は世間では偶発的なものとされているが、決してそうではない。 筆者菅原が陸士予科2中隊時代に区隊長として訓育していただいた桂鎭雄殿は、その当時支那駐屯地歩兵第2連隊所属の小隊長であり、廬溝橋近くで演習をして居た新設の第1連隊第3大隊の小隊長とは同期であり、その事情には詳しい人である。
文藝春秋1988年7月号に「廬溝橋事件真犯人は中共だ」(私は東京裁判で事件の証言を中止させられた)に載っているので見られたい。
もし手元に資料が無く希望される方には発信(発送)します。

歴史は不思議なものである。
この歩兵第1連隊の連隊長は牟田口大佐、第3大隊長は一木少佐であった。牟田口連隊長はその後昇進してビルマの第15軍司令官として印度のインパール攻撃を行ったが、補給が続かず残念乍らインパールを目の前にして挫折し、ビルマ方面軍河辺司令官は昭和19年7月5日インパール作戦の中止を命令し、各部隊は雨期の最中で大河を越えての撤退を止むなく行い、非常な犠牲を伴ったのであった。
一木第3大隊長は旭川の精鋭で編成された一木支隊(連隊)は、ミッドウェイ攻略部隊として輸送されたが、海軍の作戦失敗により同攻撃は中止となり各所を経てトラック島に駐留していたが、その後海軍が設営完成したばかりのガダルカナルを米軍に占領されたのでその奪還を命ぜられ、昭和18年8月18日一木支隊長が直接指揮する一ヶ大隊が先遣隊とし駆逐艦6隻により勇躍ガダルカナル島に上陸した。
状況を甘く見て本隊の到着を待たずして20日攻撃を開始した。だが予期しなかった猛烈な火力なより死傷続出して奪回ならず、ついで21日には一木大佐以下多数が戦死する悲運に見舞われたのであった。
      

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正しい歴史を考える会

誤った歴史認識や教育が多い今こそ、私共の経験と知識とを基に、正しく歴史を考え主張し、若い世代を主対象に判りやすく語りかけて、後世に伝えたいと思って居ります。