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2012年4月

2012年4月12日 (木)

第36回都城市特別攻撃隊慰霊祭について

平成24年4月6日(金)、定例となっている上記の慰霊祭が、今年も場所は同じ都城陸軍墓地の特攻慰霊碑前で奉賛会主催で行われた。私も福岡県偕行会長・陸士57期生会九州代表として参加をしました。

昭和20年4月1日、米軍の沖縄上陸攻撃に合わせて第1特別振武隊(隊長林少尉以下8名)が4月6日都城西飛行場から沖縄方面敵機動部隊めがけて特攻突入したのを始めとして、計10隊が17次に分かれて85名が当時最新鋭であった四式戦闘機(疾風・はやて)に乗って特攻を行ったのである。10隊共指揮官(隊長)は私共同期の陸士57期生である。10名の内8名は陸軍航空士官学校卒、1名は陸軍士官学校入校後1次で航空転科、残る1名金丸亨君は陸士卒業と当時に戦車兵から航空に転科したのであるが、いずれも優秀な猛者揃いであった。私は歩兵科であり、陸士卒業後会津若松の155聯隊の聯隊旗手を勤めていたが、航空兵を志願して転科して、当時は千葉習志野の偵察学校で航空兵としての再教育を受けていた。金丸君とは陸士本科では同じ8中隊での隣区隊で、起居を共にした仲である。

私事であるが4月6日という日は私にとっては昭和13年に母を、昭和24年に兄をそれぞれ病で亡くした命日であります。その墓参の為当初は同日である都城の慰霊祭には失礼していたのであったが、都城市で建てられた慰霊碑に加えて我が57期生会での慰霊碑も建立したので、それからは毎年慰霊祭に57期生として参加をしてきたのであります。
この行事では特攻で亡くなった方に合わせて、特攻を掩護して作戦した各飛行戦隊からも64名の方が戦死殉職(この中には57期生も含む)されました。
当日は奉賛会(各地と同じ様にここも会長は市長さんです)から予め要請があり、会長の祭文に続いて私が追悼の詞を述べる事となりました。

当6日は朝5時に起床して福岡空港から宮崎空港へ、ここから8時30分発のバスで西都城駅着、毎年の事ながら特攻隊長生き残り(金丸君より早く突入の予定が命令の具体で後となり終戦となった)である大阪からの藤井君と一緒になり、タクシーで現地着。我々57期生も段々と減って本日は僅か6名の参加となった。式典は予定通り進行し、私も追悼の詞を(5分内)少し早口ではあったが無事申し納めました。我々57期を始め偕行会員で校歌を唱い、少年飛行兵出身者と共に「海ゆかば」「加藤隼戦闘隊」「同期の桜」を合唱した次第でありました。
当日は晴天で、且つ満開の桜(去年は大分散っていた)の下で昔の勇士を偲ぶ事が出来た有意義な日であり、我々57期生は芝生の中の亭で宮崎57期生会世話人緒方君の好意による弁当をいただき乍ら昔話に花を咲かせた。

終わって私と藤井君とは地元の世話人であったが3年前に亡くなった同期生の伊黒君(居合道10段範士)の霊前にお詣りして宮崎空港に向かった。宮崎空港では滑走路北端にある陸海軍の爆撃機による特攻の慰霊碑(明日が慰霊祭らしく、その準備をしてあった)に参拝してから夕方の航空便で帰福し、一日を終えたのであった。

「追悼の詞」と「特別攻撃隊戦没者名簿」とをこちらに掲載しています。どうぞご覧になってください。

 

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誤った歴史認識や教育が多い今こそ、私共の経験と知識とを基に、正しく歴史を考え主張し、若い世代を主対象に判りやすく語りかけて、後世に伝えたいと思って居ります。