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2009年5月

2009年5月 8日 (金)

陸軍特攻南九州三基地慰霊祭についての報告

1.都城特攻慰霊祭

ここは毎年4月6日(沖縄戦開始し第1陣特攻出撃を記念して)11時(前年迄は10時)から都城市都島町の陸軍墓地の特攻慰霊碑前で、都城市長が奉賛会長となって行われる。今年も約500名近くの遺族・戦友・市民等が集まって盛大に行われた。
ここからの出撃は精鋭の4式戦闘機飛燕で行われ、11隊の隊長はすべて57期生(地上兵科の陸士から航空兵操縦に転科した者も多く、顔馴染みである)であり感慨は深い。
地元都城市在住の元ジェット戦闘機名パイロットで、居合道10段の伊黒忠義君(57期航士)が少飛会の人々や市の職員と共に御世話役として頑張って居ります。

2.万世特攻慰霊祭

ここは元加世田市(現南さつま市)に終戦の年にやっとの事で出来上がった、いわば隠密飛行場的存在であり1式戦(隼)も出動したが、海岸近く砂地なので滑走路も弱かったらしく、脚の丈夫な(固定脚)軍偵や97戦が多かった様で、出撃回数機数も他に比して少ない。ここからは57期生は3人が出撃戦死されている。
碑や記念館は立派であり、今年は米軍の写した当飛行場の写真も発表されて感慨深く、約450人位の方が参加された。ここは毎年4月の第2日曜日(今年は12日)に行われる。
会員の地元の婦人の方々が中食に名物のうどん・そばを提供して下さるのは有難い。
鹿児島中央駅からは10時に無料バスが出発し、帰りも終了後送って下さるので便利である。ここも市長が奉賛会長であり盛大に実行される。

3.知覧特攻慰霊祭

ここは今や全国的に有名であり、記念館も整い、機数も増えた。毎年知覧町(現南九州市)をあげて顕彰会として主宰されて居る。今年も約1,000名以上の全国からの参加者があり盛大であった。
毎年5月3日と決まって居り、最初は少年飛行兵の少飛会が主体で実行されていたが、30年位前から隊長期である57期は「相済まない事」と全国から参加して慰霊に加わった。昭和57年に57期で因んで植えた桜(57期生会、代表平野静夫君、菅原道之の3本)も大分大きく育って居る。勇士1,036人に因んでそれぞれが献灯した石灯ろうも更に増えている。
式典には57期生・全国偕行会を代表して57期の堀之北君が「慰霊のことば」を捧げて、その胸をうつ内容に居並ぶ者ひとしく感銘を深くした。内容は後に掲上します。
ここは鹿児島中央駅から9時・11時の2回現地へバスを、終了後は三角兵舎経由と直行中央駅行、指宿駅行とを出していただいている。
我々は当時の丘にあった三角兵舎跡地に行き、当時の女学生だった方々に湯茶菓子の接待を受け乍ら昔を偲んだ。緑の木立の中で心を清められて、当時を偲び英霊を弔って帰途についた。

    慰霊の言葉 (堀之北君による) 
 風薫り、新緑萌える、今日この日に、第55回知覧特攻基地戦没者慰霊祭が行われるに当り、財団法人偕行社、並びに、陸軍士官学校第57期同期生会を代表し、知覧特攻平和観音堂に祭られる、1,036柱の英霊の御前に、謹んで感謝慰霊の言葉を捧げます。
 今から68年前、自存自衛の為に始まった大東亜戦争に、国は総力をあげ、必勝を期しましたが、物量を誇る米軍に圧倒され、開戦3年3ヶ月目の昭和20年3月、米軍は沖縄に上陸しました。これを迎え撃つ陸軍の第32軍等を支援し、沖縄周辺海域の米軍艦艇を撃破するため、特攻攻撃がはじまり、ここ知覧からも、純真で、才能豊かな、若い特攻隊員の諸兄が出撃され、玉砕されました。一緒に肩を並べて学び戦った戦友が、「九段で会おう」と別れの言葉を残して出撃されたことを、今もはっきりと憶えており、燦々と輝く勲功とともに忘れることはありません。
 戦後もあれから64年、世界の各地でおきた戦争は百回を数えますが、日本はこれと関係なく、平和が続きました。あの原子爆弾など空襲により、ダメージを受けた産業は驚異的に復興し、焼野原となった都市はモダンな大都市に生まれ変わり、貧しかった生活は豊かな生活に様変わりし、多くの人が進歩した技術社会の中で、この豊かな生活に満足しています。
 この平和と繁栄は、世界に誇れる日本の誇りです。将来にわたり、末永く維持し発展させねばなりません。そしてこの平和と繁栄が、隊員諸兄を始め、全国310万の戦争犠牲者を礎として出来たものであることを忘れてはなりません。全国民とともに敬仰追悼し、深く感謝の誠を捧げます。
 一方においては戦後教育という名で日本人の精神弱体化が進められ、倫理意識が破壊されました。今日人をごまかす経済行為が頻発して、道義は退廃し、家庭や学級は崩壊し、凶悪犯罪は蔓延するなどして、安全安心が脅かされる状態となり、道徳と教育の改革が叫ばれています。
 ところで、隊員諸兄は、国の為、愛する者の命を守るため、死を恐れず、優勢な敵をめがけて突っ込まれました。その勇気に感謝し、その強烈な個性に多くの人が畏敬の念をおこしました。これは隊員諸兄の一人ひとりの魂の高貴さの仕業でした。友のために死ぬ、これより大きな愛はない。人が人のために死ねるのは人が魂の高貴さを持っているからだと知りました。
 隊員諸兄が、この崇高な美学を身につけられたのは、20歳前後、しかも特攻隊員という戦わざるを得ない悲痛な運命を知って、1年足らずの間でした。私はこのことに頭が下がり、その努力を称え、その努力実行力に深甚の敬意と感謝の言葉を捧げます。
 この魂の高貴さが、あの悟りを開いたような、神々しい顔写真となり、何度読んでも胸をうつ、あの立派な遺書となって残されたのです。
 知覧町におかれましては、長年、町をあげて特攻戦没者の慰霊に努められ、隊員諸兄の御心を伝え下さっており、深く感謝申し上げるところであります。
 特攻平和会館には子供等も多数訪れ、入館の時と出館の時の顔付きが異なっていると伺っています。隊員諸兄の御心が子供等に伝わっているのだと思います。この子供等が誇りある日本人に育ってくれることを信じたいと思います。
 隊員諸兄とともに、大東亜戦争を戦った私も85歳になりましたが、生ある限り、隊員諸兄の御心を孫子の代に語り伝え、愛する日本を誇りある国にしていかねばならないと思っています。
 在天の英霊、願わくば、我らの生きざまを御照覧下され、御導き賜らんことを。茲に、平和観音堂に眠られます1,036柱の御霊の眠り易かれとお祈りし、慰霊の言葉と致します。
         平成21年5月3日
         財団法人 偕行社
         陸軍士官学校第57期同期生会
                 代表 堀之北 重成

中国が行った大虐殺 「通州事件」

現代においても中国人は事在るごとに「南京事件」を持ち出す。証拠も無く確たる証人もいないこの話は年々膨れあがり、米粒が一俵に成る程である(当初48人が現在30万人余)。

しかしこれは白髪3千丈式の中国人の民族性であり、且つ中共の国策なので、我々の反論は全く通じないどころか、更に「南京」等数本のこの手の映画を大々的に製作上映を始めている。反日で日本人に対する悪行の数々は支那人又は支那軍による南京公使館事件や済南事件等々数多いのだが、中でも支那事変に直結して居るのに今もって中国人が隠しつづけ、勿論戦争裁判にもならず日本の教科書にも載らない日本人への残虐な大虐殺があった事を決して忘れてはいけない。

それは「通州事件」である。 濾溝橋事件の3週間後1937年7月29日に北京東方の通州で事件は起きた。濾溝橋事件の余波で通州に非難していた婦女子、朝鮮人(当時日本国籍)を含む日本人と天津特務機関長・細木繁中佐ら軍人等223人とが殺されたのである。日本軍守備隊の主力が南苑攻撃のため町を離れたので、留守部隊は110名の兵しか残っていなかったところへ支那保安隊千数百名が襲撃をしかけ、数にものを言わせて日本軍守備隊を全滅させた上、無防備無抵抗の日本人居留民を標的にしたのである。支那保安隊は日本人を閉じ込め火を放ち、女性には屈辱の限りを尽くし暴行を加えたうえで局部に丸太を突き刺し殺害、子供は両手両足を切断して殺害、男性は縄で首を縛り引き廻して殺す等、残虐の限りを尽くしたのである。

これは南京事件とは違い証拠もある明らかな国際法違反の虐殺行為ですが、支那側はこの事件についても保証はおろか謝罪すら無いのが現実である。

毎回教科書検定の時期になると、中国は「正しい歴史認識を」と声高々に主張するのであるが、通州事件の日本人虐殺について何の謝罪もしないとは、良心はあるのかと言いたい。(現中共)支那は日本に対し内政干渉する前に自国の歴史認識を正すべきであろう。

この事件については、筆者菅原の尊敬する陸士予科2中隊区隊長46期 桂 鎭雄氏がこの事件後一番先に救援に赴かれた当時の小隊長であり、直接この件については詳しく伺って居るし、各種の本にも発表もされて居られます。

「竹島密約」図書の紹介と報告

「竹島密約」
出版社:草思社
発行:2008年11月
ISBN:9784794216793
価格:¥1785 (本体¥1700+税)

竹島密約 The Takeshima secret Pact
ロー・ダニエル著

「竹島密約」の内容(目次)

プロローグー「未解決の解決」はなぜ成立したのか

第一章    暗中模策の時代
    1 領土をめぐる紛争の起源
    2 李承晩ラインの設定、「日韓断交」
    3 大胆な宥和策をとった岸信介
    4 二人のリーダー、下野する

第二章   叔父と甥の外交
    1 親日政権の誕生
    2 日韓会談、動きだす
    3 大野伴睦と日韓ロビーライン
    4 請求権資金をめぐる攻防
    5 李承晩ライン、消える

第三章  新しい日韓ロビー
    1 大野伴睦―金鐘泌ラインの消滅
    2 「突撃内閣」の誕生
    3 河野一郎―丁一権ラインで動いた人々

第四章  竹島密約
    1 河野一郎、本格的に動く
    2 漁業問題を片付ける
    3 竹島密約の成立
    4 密約に形つける
    密約の「政治学」

第五章  二つの喪失
    1 紙の喪失
    2 精神の喪失

エピローグ  先人の「知恵」をいかにして受け継ぐか

あとがき

私(菅原)は、うつりよう島に向かう船が出る補項(現在大きな市となっている)育ちの引揚者でもあるので、この問題は興味深いです。当時うつりよう島は韓国の慶尚北道でしたが、その先にある竹島は日本国島根県でしたよ。
状況これを許せば本21年7月頃 竹島を観察する旅行に参加の計画をもって居ります。昨年は参加者が集まらず流れましたが、今年はどうでしょうか。無事成功すれば報告します。

憲法審査会はなぜ機能しないのか?

憲法審査会は平成19年8月に設置されましたが、発足できないまま既に2年が経過しようとしています。野党の反対で委員定数などを定める「憲法審査会規程」が制定できないためで、これでは、「国会の怠慢」の極みであると言われても仕方ありません。

自民党(与党)側は「委員定数を50人。議決は出席委員の過半数。憲法改正原案の審査の際に公聴会の開催を義務づける」などを柱とした案を提示しているが、民主党をはじめとする野党は審査会設置を決めた国会法改正の採決のあり方を不満とし、頑なに反対している。成立した法律の内容や成立までの手続きに不満があるからと言って成立した法律を無視し放置しておくことは、法治国家において許されない行為ではないのか!

民主党は参議院の第一党なのですから、国会の責任を果たすために、野党の代表として当然リーダーシップを発揮すべきではないのか。連立政権をめざす民主党とすれば、憲法改正・日米安保に絶対反対の社民党・共産党の意見を決して無視できないし、民主党の中においてさえ、考え方がバラバラでなかなか一本化できない深い事情があるのだろう。しかし、現行憲法には衆参それぞれ2/3の賛成がなければ、一言たりとも改正できないという高いハードルがある。

現憲法のままでは亡国への道へ通ずるのであり、改憲の必要を説く立場から62回目の憲法記念日を迎え、一日も早く憲法審査会を発足させること、これが目下の急務であり、国会の責務であると思うものである。

              平成21年5月3日

                           正しい歴史を考える会
                            会長 菅 原 道 之

2009年5月 1日 (金)

報告と御礼並びに御願いの件

1.報告と御礼

日本会議福岡会長代行副会長退任と名誉顧問就任について。
4月26日当会総会をもって上記の如くなりました。
思えば平成9年1月の「日本を守る福岡県民会議」に副会長として出席、新組織「日本会議福岡」を設立する事となり、準備委員会委員長に就任して以来、平成10年10月の発会式を経て今日まで13年間の永きに亘り、「日本会議」の発展の為微力を尽くして参りました。念願の会員1万人目標には到底及びませんでしたが、その間 皆様から戴いた御協力・御指導に心から感謝申し上げる次第であります。
尚 第一線からは退きましたが、同会の名誉顧問の名で会には所属して居りますので、今後共宜敷くお願い致します。

2.御願い

日本唯一の正国民的放送機関である「日本文化チャンネル桜」が経営立て直しの為、二千人委員会・友の会で協力の同志を求めている事は御承知の事と存じます。
ついては同桜の支部が各地で設立されつつありまして、福岡でも是非設立して欲しいという要望があります。桜の水島社長の気持ちを思う時、出来ればそれに応えたいと思って居りますので、是非支部会員となり御協力をお願いしたいと思います。お心のある方はご一報下さい。必要な書類がいれば送付して打合せ等をしたいと思います。

                           以上

日本会議福岡名誉顧問
  菅 原  道 之
    正しい歴史を考える会会長
    NPO法人陸軍墓地修復改良保存委員会理事長
         (日本文化チャンネル桜代理店)
                             

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誤った歴史認識や教育が多い今こそ、私共の経験と知識とを基に、正しく歴史を考え主張し、若い世代を主対象に判りやすく語りかけて、後世に伝えたいと思って居ります。