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2006年11月13日 (月)

「人間魚雷回天慰霊祭」参加

平成18年11月12日

今日は人間魚雷回天の慰霊祭に参加をした。

大東亜戦争の後半、敗退がつづく日本海軍は、遂に必死必殺のこの恐るべき

兵器を使う決心をした。

己の命をかけて愛する祖国日本を守ろうとする若者たちが、発案者・黒木大尉、

仁科中尉を始め、全国から2000人余が山口県の大津島・平生・光・大神の

各基地に集まり、猛烈な訓練と共に「ウルシーの敵泊地の攻撃」を始め数々の

特攻を行った。1人乗りの回天は86名の戦死者・16名の殉職者を出した。又

回天整備のため共に出撃した整備員36名も潜水艦と運命を共にしたのである。

回天を積んで出撃した母艦である潜水艦も7隻は未帰還となり、乗組員は全員

戦死である。

此の慰霊祭は毎年回天顕彰会主催で回天記念館のある山口県周南市大津島

の回天碑前で11月の第2日曜日に行われて居り、今年も11月12日(日)に

挙行された。気象台の11日の暴風警報発令と12日も悪天候予報に心配したが、

幸い波風は無し暑い位の日照りとなった。

徳山着の新幹線を選んで博多駅を8時59分発、徳山港10時発のフェリーにて

大津島へ渡る。主に海軍さんが乗って居り、途中いろいろ懇談する。11時より

慰霊祭開始。遺族の方は今年は28人(昨年11月13日は46人)、北の果ての

礼文島よりも来られていた。

来賓に山口県知事(代理)、周南市長(代理)、周南市議会議長(代理)、航空・

海上・陸上各自衛隊幹部等の方々を迎え、関係団体等々総勢約300人の盛会

であった。途中、航空・海上各自衛隊から3機編隊2群大型飛行艇1機が現地

上空を飛行してこの慰霊祭に参加された。

地元の小学校長先生が作詞された回天特攻戦士をたたえる詩文を尺八と共に

吟士お二人計3人で奏され、涙の出る深い感銘を与えられた。続いて、徳山の

回天太鼓は白装束の若い男女約20名により回天攻撃を表現した勇壮且つ悲壮

な響きの特別出演があった。全員で献花を行い英霊に感謝の誠を捧げた。その

後 回天舞踊が徳山商工会議所女子部10名の方々により見事に行われた。

式後、記念館(館長小川宣氏)を拝観(入場料240円)したが、知覧を小型化し

た様に、遺品・遺影・参考品・説明写真や文が展示されて居り、感慨深いもの

であった。館前には回天実物大(長14.5メートル、1人乗り、爆薬1.5トン、

連力30ノット〔型によっては1部40ノット〕)が展示してある。この発案者黒木大

尉は19年9月6日訓練が始まって2日目にこの回天第1号に樋口大尉との同乗

訓練の際、海底に事故で突入し 2人とも無念の殉職を遂げたが、彼は艇内で

次第に無くなる酸素欠の中で絶命するまでの10時間に2000字に及ぶ記録・

意見を遺書として書き残し、この国を思う一念は涙無くしては読まれず、往年の

佐久間艇長の件を思い起こす事故である。

遺族休憩所では本日は無料でぜんざい・お神酒を出しておられ有難く頂いた。

下って海辺には昔の回天を運んだレール跡も残るトンネルを通って回天降し

クレーン場跡を見学した後、14時の徳山行きの復路フェリーに間に合い乗船し、

徳山にて新幹線に乗り換え帰福した次第であります。

尚、『特攻最後の証言』に【人間魚雷 回天】証言を記述された回天生き残りの

海軍兵学校72期(陸軍士官学校57期と同期となる。海軍は任官進級が早い

ので、終戦時海兵72期は大尉、私達陸士57期は中尉であった)の小灘利春

大尉にここで会えると思って来たが、彼は惜しくも本年9月に亡くなったとの事

で残念至極であった。

博多からでも充分日帰りで行ける所にあるので、是非慰霊訪問をお勧めします。

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コメント

11月に斎行される大津島での慰霊祭の日時を知りたい所存です。お伺いしたいです。

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