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2006年6月

2006年6月23日 (金)

6月23日に考える

昭和20年6月23日は沖縄本島での日本軍の組織的作戦が終結したとされ、

毎年6月23日は沖縄慰霊の行事が行われます。

この沖縄戦の攻防について、ホームページの「かわら版 最新号」に詳しく記述して

おりますのでどうぞ見てください。

http://www3.coara.or.jp/~nippon_f/kawaraban180623.htm

2006年6月20日 (火)

6月19日は何の日でしょう?

① 昭和20年4月1日の米軍沖縄上陸作戦以来、孤軍勇戦奮闘して来た地上の

沖縄守備の日本軍は陸海空の優勢な敵に次第に南の方へと圧迫され、戦後

「ひめゆりの塔」と言われた陸軍病院第3外科濠には病院側関係者・通信隊・住民

若干名と、ひめゆりの教師・生徒とが居たのであるが、6月19日早朝、米軍のガス

弾襲撃を受け教師生徒は46名が死亡し、生き残ったのは僅か5名であった。

病院関係者は軍医以下28名中23名死亡、生存者は看護婦5名で、通信隊は

将校以下9名全員死亡、民間人は8名中1名のみ生存と言われる。

戦後「ひめゆりの塔」として慰霊に訪れた人々は、その生徒さん達の事をしのんで

涙をしぼりました。

現在は立派な平和祈念資料館を建立されて、第1~第5展示室まであり、語り部

の方の説明があるが、いつの間にか変針してその話の仕方は何やら反戦反日の

場と化したのではという感がする。

② 一方、福岡では昭和20年6月19日に米空軍機約200機による大空襲を受け

2,000人以上の死傷者が出て、焼失家屋も多数であったという災難の日である。

筆者菅原が戦後入社した金子組福岡支店は長浜2丁目にあった。(当時は裏が

すぐ博多湾の海であった。その後埋立てられて広くなり、魚市場へのJR線も引込

まれた。支店があった所は現在は銀行協会となっている。)土地803坪の中に

あった支店ビルや倉庫にも焼夷弾等が多数降りそそいだが、社員や住民の大活

躍で火災は消し止めた。然し不発弾数発は地下までもぐったままであった。

旧土居町の第15銀行ビルの地下に避難した方々は不幸にも63人の方が亡くなり、

その悲惨な話は永く伝えられているが、今はその跡に博多座等が新築されその

面影は無い。

被害の激しかった博多区須崎町の須ヶ崎恵比寿神社境内には犠牲者を慰霊する

戦災地蔵が今もあり、毎年6月19日夜には住民・有志が集まり法要を行うが、

その台座には戦災死者59名のお名前が刻んである。

山笠の大黒流を構成する地区であり、追い山決勝点からは300M足らずの所にあ

るので、是非お詣りをしていただきたい。

2006年6月 5日 (月)

ホームページ「かわら版」更新しました

「正しい歴史を考える会」ホームページの『かわら版最新号』を更新しました。

http://www3.coara.or.jp/~nippon_f/kawaraban180605.htm

内容 「6月5日は何の日でしょう?」です。

是非見てください。

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誤った歴史認識や教育が多い今こそ、私共の経験と知識とを基に、正しく歴史を考え主張し、若い世代を主対象に判りやすく語りかけて、後世に伝えたいと思って居ります。