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2006年5月

2006年5月29日 (月)

ホームページ『かわら版』更新しました

「正しい歴史を考える会」ホームページ『かわら版 最新号』を更新しました。

  http://www3.coara.or.jp/~nippon_f/kawaraban180529.htm

   内容 「5月29日 今日は何の日でしょう?」 

   こちらも是非見てください。

2006年5月26日 (金)

ホームページ「かわら版」更新しました

「正しい歴史を考える会」ホームページの『かわら版 最新号』を更新しました。

 http://www3.coara.or.jp/~nippon_f/kawaraban180526.htm

    内容 「旧日本軍化学兵器遺棄問題続報」 です。

  是非見てください。  

2006年5月16日 (火)

●経済同友会へ抗議しよう!●5月15日は何の日? 他

●平成18年5月10日付

『経済同友会』という経済人の集まりの会があるが、5月9日に妙なメッセージを提言した。

新聞でそれを見た途端、「あ、同友会も遂に中国の圧力に屈したのか」という強い思いがしたのは

私ばかりではない筈です。 事実、それから連日、これに抗議する意見が多数発表されています。

確かに中国に対しては多数の企業が今が盛りと投資や現地生産等も行い、上場企業の利益は

最大となりつつあり、その様な企業では中国様々といった気持ちであろう。そして中国がかたくなに

主張する靖国神社への総理参拝中止については、中国の機嫌を損なわない様にやめてくれと言う

のだ。こんな主張をして長い眼で見た場合、これは国益になるのか? これらの人々は金儲けに頭

が狂ったとしか思われないではないか。いづれ中国は内部崩壊するか、米・台・中戦いで壊される

かと思われ、その時日本企業は数百兆の被害が発生すると予想されて居る様だ。

日本人はしっかりとした信念を持ってどんどん抗議をしよう!

   抗議先 「経済同友会事務局」

     〒100-0005 東京都千代田区丸の内1-4-6

        日本工業倶楽部別館5階

       企画・総務    TEL 03-3211-1271  FAX 03-3213-2946

       政策調査・国際 TEL 03-3284-0220  FAX 03-3212-3774

● 平成18年5月13日付

歴戦の勇士で田形竹尾さんという方が居られて、その方が卒寿(90才)を迎えられたので その

お祝いを靖国神社に集まって昇殿参拝してから行うという会が5月13日12時より行われた。

小生も発起人の1人として上京して参加しました。

靖国神社集合が11時30分でしたが、集まった方々は約250人でしたが、その主流は戦後生まれ

の方・若い方・女性であったのにまず驚いた。勿論私共の様な戦闘参加の老人も居られたが。

田形さんは飛行時間約5,000時間以上というすごい戦闘機乗りで、台湾では米軍機約40機の来襲

に部下とたった2機で迎え撃ち、その内11機を撃墜して2人共被弾不時着乍ら生還された等、数々の

武勇伝があり、少年飛行兵の教官もつとめ多数の特攻隊員を送り出し、自らも特攻志願したが終戦に

なり突込まなかったという熱血の方です。

いろいろの行事がありましたが、私は乾杯の音頭を指名されたので「これぞ真の日本男子なり」と大声

で発声をしました。

●平成12年5月14日に福岡のエルガーラ8階大会場で時局講演会があったので、他の団体の会を

早めに切り上げて14時から参加しました。

「百人斬り訴訟を支援する会」と「日本会議福岡」との共催でしたが、この百人斬りといわれるものは

全くの作り話であり、当時の新聞記者が武勇伝として国内の戦意向揚?の為に書いたのです。

結果としては中国軍側に利用され、日本軍は残虐だとPRに使われましたが、戦後には2人共逮捕さ

れて、たった1回の裁判で死刑判決を受け南京?市内引廻りしの上、2人共軍人の銃殺刑ではなく、

座らせて背後から首の後部を撃つという罪人処刑の方法で殺されたのです。これも又残念な事であり

ます。

御家族の3人の方のお話のあとで東中野先生(南京学会会長)から、このお二方の軍人と記事を作っ

た(毎日新聞)記者とが会って百人斬についての話を聞いて作文したとなっているが、実際の行動詳

細・日時から検証して会ったというのは嘘であることを詳しく立証された。これはすごく説得力のある力

強いお話であった。

その後数人の方からの質問を受けられたが、先生は学者らしい態度で詳しく対応されたのも感慨深い

ものであった。

● 5月15日は何の日?

 ①沖縄が本土に復帰して34年目となる。

まずはおめでとうと言いたい。「普天間基地を返還し名護市に移転」となったが、現地では親中国派を

主力とする反対運動が続いている。世界情勢対応の米軍再編成は、仮想敵国を中国と明示した現在、

日本にとっても大きな影響がある。海兵隊の内8,000人をグアムに移転するが、この費用でも過半は

日本が負担せねば出来ず、日本の負担は全部で3兆円という声も出ている。一方、基地の収入は激減

してしまうので、沖縄は南北2極化するのではないか。

 ② 5・15事件

大正の第1次世界大戦で勝利側に廻った日本は、一時好景気に酔ったが、大正9年の株式市場大崩

落を契機として世界的不景気が到来、日本では更に大正12年の関東大震災で大打撃を受け、昭和に

入ると不況は更に不安の時代となり、農家は貧困にあえぎ貧富の差が拡大した。世相は不穏の情勢

となりいろいろの事件が起きた。この時満州事変が起こったが、日本は国際連盟を脱退した。 

3月事件・10月事件・血盟団事件と続いて国内では事件が発生したのである。昭和7年5月15日海軍

将校三上卓他は首相官邸を襲い犬養毅首相を射殺した。他の海軍将校古賀・中村等は内大臣牧野氏

の官邸・警視庁・政友会本部・日本銀行・三菱銀行本店を襲撃した。その他近辺でも襲撃が起った。

戒厳令はしかれず収まったが結果として財閥は次々と「転向」を表明し、農村等の救済等が言われる様

になったのである。 併し、これをもって政党政治は実質的に終わりをつげたのである。

    

     ~~ 五・一五 ~~ (5・15事件昭和維新行進曲・陸軍の歌)

        1. 若き陸生殉国の  至誠に勇む大和魂

              昭和維新のそのために  起った決意の五・一五

        2. ドンと一発 革新の  のろしに挙がる鬨の声

              さませ悪夢を 開け眼を  寄せる黒潮 なんと見る

        3. 国のためなら身命も  捧げて なんの悔があろ

              永き平和を神かけて  警鐘たたく五・一五

        4. どうせ散るなら潔く  桜と咲いて君のため

              陸の勇士が国難に  花と飾った五・一五

        5. 光明萠す日本に  今なお乱打す警鐘の

              悲しき響を聞くたびに  血潮はたぎつ五・一五

    

    ~~ 青年日本の歌 ~~  (昭和維新の歌) 三上 卓 作詞・作曲

        1. 汨羅(べきら)の淵に波騒ぎ  巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ

              混濁の世に吾たてば  義憤に燃えて血潮湧く

        2. 権門上(かみ)に驕れども  国を憂うる誠なく

              財閥富を誇れども  社稷(しゃしょく)を思う心なし

        3. ああ人栄え国ほろぶ  盲(めしい)たる民世に踊る

              治乱興亡夢に似て  世は一局の碁なりけり

        4. 昭和維新の春の空  正義に結ぶ丈夫(ますらお)が

              胸裡百万兵足りて  散るや万朶の桜花

        5. 古びし死骸(むくろ)乗り越えて  雲漂揺の身は一つ

              国を憂いて立つ時に  丈夫(ますらお)の歌なからめや

        6. 天の怒りか地の声か  そも只ならぬ響きあり

              民永劫の眠りより  醒めよ日本の朝ぼらけ

        7. 見よ九天の雲は垂れ  四海の水は雄叫びて

              革新の機(とき)到りぬと  吹くや日本の夕嵐

        8. ああうらぶれし天地(あめつち)の  迷いの道を人は行く

              栄華を誇る塵の世に  誰が高楼の眺めぞや

        9. 功名何か夢の跡  消えざるものはただ誠

              人生意気に感じては  成否を誰かあげつろう

        10. 止めよ離騒の一悲曲  悲歌慷概の日は去りぬ

              われらが剣いまこそは  廓清の血に躍るかな

         

2006年5月 9日 (火)

知覧慰霊祭と「防衛を支える会」講演会

●第52回知覧特攻基地戦没者慰霊祭について

今年も5月3日が巡って来た。福岡は3日・4日は“博多どんたく”で125万人の人出というが、

又憲法記念日でもあるが私は毎年知覧行である。

交通の便が良くなって、昔車で走って1泊~2泊で参加していた頃からみると夢の様です。

朝8時15分のリレー特急に博多駅から乗り、新八代で向かい側の新幹線つばめに乗り換えて

10時33分には鹿児島新中央駅(昔の西駅)に着く。西口には毎年の事乍ら知覧町の用意され

たバスが待っていて、すぐ乗り込み12時には知覧平和観音会場に着いた。

来賓受付と陸士57期の偕行会受付とに登録、57期の同期生の面々と久濶を抒す。

私や同期生会で昭和57年に記念植樹した桜も大分大きくなった。

平和観音堂前の特設会場で私や関係者は最前列に腰掛け、13時より慰霊式典が始まる。

霜出知覧町長が慰霊顕彰会長であり、町役場の皆さん総出で支援されている。集まった方々は

ご遺族約170名位、他に全国から集う嘗ての少年飛行兵・特別操縦見習士官・陸士(偕行会)

等々の仲間や、議員・行政・町民等関係者多数で総計は今年も1200人は居られる。

毎年の行事が進められて全員での焼香・顕彰会長の追悼のことばがあり、続いて慰霊の言葉と

なり、偕行社代表として陸士57期同期生会が担当し、今年は不尚菅原が堂内に進み墨書の

用意したことば(後に掲載)を捧げたが、今年は小生が己の所信を述べたので、例年とは内容が

少々違うものになったと思う。

その後全員での献花を行い町長の挨拶があったのだが、会長兼町長は知覧町として未来永劫に

慰霊を致しますと力強く申されたのは大変うれしい思いであった。

「加藤隼戦闘隊」「同期の桜」を合唱して14時50分終了、散会となった。

希望者は少し離れてるが戦争中に実際に丘の上の森の中に有った思い出の三角兵舎跡地に

参集するのが例であるので、今年も用意されていたバスにておもむいた。今年も全国から集まった

昔の地元女学生の方々が乙女時代に還っての茶菓酒等の接待をして下さり、昔話に花が咲いた。

その後、待っているバスにて鹿児島市内に戻り、私共57期生の有志(今年はここに来る者の数は

大分減って16名)は例年通りニュー西鹿児島ホテルにて懐古談をもった。

いつもの事ですが、知覧詣りは心が清く洗われ純粋になるものですね。

 

                         「慰霊のことば」

本日ここに第52回知覧特攻基地戦没者慰霊祭を行うに当り、財団法人偕行社の代表として陸士

第57期同期生会から慰霊のことばを申し述べます。

年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。御遺族の年代も次第に変わりつつあります。

生き残った私共も既に白頭の翁となりました。往年の激戦下私共偕行社の先輩や我が57期の

多数の同期生の皆様がこの地より特攻出撃されましたが、亡くなった方々の面影をしのぶ時、

あの凛々しい勇姿が眼前に彷彿として蘇ってくるのです。

思うに緒戦の戦果に奢った海軍のミッドウェイ海戦での大敗北、その実態を知らされなかった

政府陸軍も、かつての連合艦隊既に無きを知らず、国家としての戦略を誤り終戦の引き時を

知らず、不必要に陸軍を南方に展開させ、結果的にはわが軍の勇戦奮闘にも拘わらず補給に

も事欠き、第に追いつめられて参ったのであります。

沖縄戦が始まるや陸軍航空は本来の地上作戦への協力という使命を棚にあげてしまい、海軍

の要請通り海上米艦艇への特攻作戦を実施するに到りました。

然し乍ら米軍も次第に特攻への防戦に馴れ、航空母艦や戦艦等の囲りには何十隻もの駆逐艦

等を配置して、その猛烈な対空火力は物凄く、その弾幕の中を被弾し乍らも眦を決して、まっし

ぐらに突入される貴方がたの御姿は正に軍神そのものであります。

世界戦史上正規軍としてのこの様な戦闘はその例を見ないのであります。

自ら志願し或いは命令をうけて隊長或いは隊員として特攻作戦につかれ、自らの命と引換えに

敵艦を撃沈破し米軍の心胆を寒からしめた功績は、私共は胆に銘じ国家として、又国民として、

万世にわたり讃え伝えてゆかねばなりません。

戦後世界の情勢は2転3転と移り変り、今や共産党独裁政権下の中国が民主主義米国と対決

する様相となり、中国の異常な軍備増強や米軍再編成と共に、日本も深い影響を受けつつあり

ます。 私共は英霊の皆様が命をかけて護ってこられたこの日本の安全と弥栄とを堅持し、次の

世代へと引きついでゆく所存でありますので、どうか安らかにお眠り下さい。

                                           平成18年5月3日

                                社団法人 偕行社
                                代表 陸軍士官学校第57期同期生会
                                    代表幹事代行  菅 原 道 之

●「福岡県防衛を支える会」の18年度総会後の講演会について

上記の案内があったので5月7日に博多駅近くの博多パークホテルで参加した。

懇親会に先だって12時10分~13時まで衆議院議員自民党外務委員長(地元選出)原田義昭

先生の「日本の外交と安全保障」という題での講演がありました。

産経新聞(4月25日)によると、原田先生は中国に行かれて、中国要人と靖国問題についても

激論をしてこられたと報ぜられた。

期待してお話を伺ったが、その通りで先生は国の内外を問わずはっきりと所信を述べられる方で

あるが、今回も中国に行かれて正論を堂々と述べられたという事であった。

とかく弱腰外交の外務省の役人や親中派の国会議員の多い事で失望する事が多い中で、これぞ

日本の国会議員ぞという感を深く感銘した次第である。

この様な国会議員や有職者が増えてハッキリ物を言い、国益を守って貰いたいものです。

2006年5月 1日 (月)

竹島問題・主権回復記念日・昭和の日

● 4月27日から4月29日までの3日間、韓国慶尚南道の馬山・昌原(道庁所在地・朴大統領が

道庁をおく為新規に開発された所で、今では馬山市を越して人口も60万人となった整然とした街)・

蔚山市(加藤清正の虎退治で有名)を廻ってきました。

内容は25年前にライオンズクラブで菅原が337-A地区(福岡県と長崎県の内壱岐対馬地区)と

韓国の317-C(釜山特別地区を除く慶尚南道の地区)との友好提携に努力をしたのですが、

317-Cはその後3地区に分かれ、それを引き継いだのが335-G地区(馬山・昌原近辺)で、

その地区大会が昌原で4月28日に行われるのに、友好締結25周年を記念して、歴代の総裁

(ガバナー)に記念牌を作成したので、それを贈呈する為に行ったのです。

先方からは大変歓迎され、古い友人と交歓が出来て良かったと思っています。

竹島の件については、韓国では国として約55年位も(独島という名で)韓国領として教えてきてい

るので主張は対立しますが、ライオンズクラブとしての行事なので、無理はしませんでした。

然し、これも朴大統領時代に対ソ連に躍起となっていた米国が、日韓国交回復を急いだので、この

竹島の所属(サンフランシスコ平和条約でも日本領となっている)についてはウヤムヤで不明確の

ままであった。李承晩ラインは勿論国際法違反であるねから撤回させたのではありますが。

いつもの事ながらこの日本政府(外務省)の煮え切らない態度が問題を残し大事な国益を損うの

です。

中国との条約作成においても、尖閣列島については昔からの日本領であるのは明白なのにも拘

わらず、外務省は正確に追及はせず鄧小平のマアマアという言葉に乗っかってウヤムヤのままと

なったのですが、今は大問題となり中国は自国領と言っている状況です。

竹島近辺を海底測量をするという当然の権利を弱腰外務省では勝手に事務次官が韓国に行って

ウヤムヤにしてしまい、折角の国際問題に発展させて国際裁判所に提案され(日本だけでは受け

付けない)世界に訴えられる好機を潰してしまったが、これでは外務省とは国益を追及しきらない

役所ではないのか?これで又も日本の竹島奪還は問題を残してしまったのではないか?マスコミ

の報道もピント外れだが、日本国民はこの様な事実が判っているのかどうか? どうして腹を立て

ないのであろうか?

● そういう訳で4月28日の第52回主権回復記念日(昭和26年9月8日署名したサンフランシス

コ平和条約が昭和27年4月28日から発効した日)にも不在でありました。54年前この日をもって

日本は永くて辛かった占領下から解放されたのであり、本当は占領下に押し付けられた憲法も教

育基本法も元に戻って作り直すべきであったのだと思って居ります。それをしなかった当時の政治

家は現在から見れば道を誤ったのだと思う。

今年もこの日を国民の祝日の1つに制定しようという運動が行われました(4月28日18時~21時・

東京九段会館にて)

● 4月29日も不在でした。この日は私共の世代では「天長節」という祝日で、天皇陛下(昭和天皇)

のお誕生日で国民こぞってお祝いをした日でした。それが訳の判らない『みどりの日』という名前に

替って居りましたが、やっと永年の国民の希望が実って平成19年からは『昭和の日』となる事に決

まりました。 誠に嬉しい事です。

プロフィール

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正しい歴史を考える会

誤った歴史認識や教育が多い今こそ、私共の経験と知識とを基に、正しく歴史を考え主張し、若い世代を主対象に判りやすく語りかけて、後世に伝えたいと思って居ります。